名称 | 有限会社 角本 近藤材木店 |
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創業 | 明治33年(1900年) |
代表者 | 近藤 淳士 |
営業所 |
〒395-0808 長野県飯田市鼎上茶屋3301-5 TEL 0265-23-7009 FAX 0265-53-7209 kakuhon.com@ceres.ocn.ne.jp |
社長ごあいさつ
代表取締役社長近藤 淳士
私は、小さい頃、父親と親戚などについて行くと、「この長押しは板目で1本の木で4本の長押しをとられている」とか(長押しは通常柾目であり、板目の節のないものをとるには非常に難しいこと)話を聞いていると、年齢が大きくなっても、自然と建物のいろんなところを見てしまう癖がついてしまったようです。脈々と受け継がれる木への思い。
もう20年近く前になりますが、私が飯田に戻った頃、設計事務所さんの仕事であるお宅を引き渡す段階で、引き渡し時のクリーニング前の掃除をしていた時、床は合板フローリング・壁はビニールクロス、幅木・廻り縁・ドア・枠等(表面に出ている仕上げ材)がすべて既成品でプラモデルの様に取り付けられ、柱・構造材はすべて覆い隠されいたのを見て、自分は何を残しているのだろうか?これでは、プレハブ住宅と同じで、誰が携わっても同じものばかりが出来るだけ。何も感じない。何か虚しさを感じた。(そこが、メラメラと闘志に燃え上がった)スタートだったと思います。
ある方のお誘いで美術館を見に行った時、その空間に身震い・鳥肌が立つ思いがした。心で感じなきゃだめ。
足下にも及ばないが、素材だけに溺れない家。引き渡して10年・20年経った時に、けんかしたり、泣いたり、笑ったりする家庭のある家を提供出来ればと思っております。
会社歴史・沿革
明治33年(1900) |
創業 下伊那郡浪合村で林業・山師を営んでいた家に生まれた(初代)「近藤金次郎」が、飯田市吾妻町にて近藤材木店(材木・製材業)を始める |
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昭和14年(1939) | 戦中機械を供出される中、金次郎は婿養子「富男」と共に、他の材木屋の人達と飯田製材工業協同組合を現在の曙町に立ち上げ、初代会長に就任する |
昭和16年(1941) | 「富男」が初代に代わり2代目となる |
昭和19年(1944) |
2代目、第二次世界大戦に出兵。戦死 戦中戦後は、妻「安繰」と母で家業を守る 飯田の大火後、都市計画のため飯田製材工業協同組合の跡に吾妻町公園ができる また吾妻町の土地も一部供出される |
昭和36年(1961) |
飯田市の三六災害後、蒲郡小林製材より「勝義」が帰郷3代目となる 材木業の他、建築業へと広げていく |
昭和48年(1973) | 工場を羽場坂バイパス沿い(鼎上茶屋3301-5)に建てる |
昭和53年(1978) | 本社ビルを(吾妻町112)に建てる |
平成 6年(1994) | 社名変更 有限会社 角本近藤材木店とする |
平成19年(2007) | 「淳士」が4代目となる |
平成22年(2010) | 事務所を改築 |
昭和11年頃 当時の近藤材木店「家族と従業員」